和井 恵さんのメッセージ(#14015)への返事 > > <font size="+1">わかっちゃいるけどやめられない</font>。 > > わかってないから、やめられない。 > 本当にわかったら、必ずやめたくなります。 > やめたくないのは、(本当は何も)わかっていないから。 > それは「わかっている」のではなくて「知っている」だけ。 > 要するに、単なる知識として、言葉として… 確かに仏教的・哲学的というか、厳密な言葉の意味で言うなら、和井さんご指摘の通りで、 「知識・言葉として知っている」というだけだから「やめられない」。本当に体得してたら やめる、ってことになるのでしょう。要は「わかる」という言葉の定義であると。 でもまあ、植木等やヨグマタが「わかっちゃいるけど」と言う(仰る)ときには、「知識・ 言葉として知っている」という意味で「わかる」という語を用いているわけで、和井さん とは言葉の定義が違うだけなんでしょう。 > >わかっちゃいるけどやめられない > > このフレーズは、自己弁護にとても都合のいい言葉です。 ヨグマタの場合は、人間というのはこういう弱いものだから、今のまま現世に流されるので なく修行しないと駄目ですよ、究極的にはサマディですよ、と言う論旨の中で使われる言葉 です。自己弁護に使う人もいるし、そうでない人もいるということではないでしょうか。 包丁でも、人殺しに使う人もいれば美味しい料理を作る手段として使う人もいると。 |