![]() 和井 恵さんのメッセージ(#13970)への返事 > それはね、その人が「知識への依存症」になっているからですよ。 > そういう、諸々の余計な知識を大切に抱え込んで、 > 何かにつけて「分析」したり「比較」したりして活用しようと修習してるでしょ? > これらは、私たちの色貪や無色貪を増大させ、 > それらに、ますます依存した生活習慣を形成してしまうのです。 > 喩えば、「活字中毒(活字への依存症)」とかね。 > 現代人の、ほとんどは「思考中毒(考え過ぎ・過剰思考)」に陥っています。 > それらは、反射的に、堂々巡りの「欲望を想起させる連想ゲーム」をくり返す。 > それらの全ては、煩悩を生起させるだけの「余計な行為」なんです。 私の場合は、活字とか考えるとかいったことが凄く苦手、「下手の考え何とやら」って いうところで、下手に考えるのは時間とエネルギーの無駄、そのエネルギーをフィールド ワークに向けた方が分かりやすいデータが得られる、というのが私の仕事におけるモットー ではあります。仕事だけでなく趣味の世界でも基本的には。 > 解脱をすると、その人の思考・その他は、とてもシンプルなものになります。 > だから、自分自身でも解りやすい分だけ、 > 自己をコントロールをするのも、これまた、とても簡単なのです。 嗚呼その境地になってみたい。解脱悟りを三つの救済の最終目標としていた某真理の団体 にでも入りませうかしらん > それよりも、「行」や「識」をコントロールした方が早いでしょうね。 > 「識別を無くす」と、判断できなくなる、のではなくて、 > どうでもいい「余計な判断(識別)」を、あれこれとする必要が無くなる。 > 何故、「識別」をしようとするのか? > それは、その根本に「無知(知らない・よく解らない)」が在るから。 > だから、「行(好奇心・探求心)」が動き出して、 > あれやこれやと「識(識別・区別・分別)」しようとし始める。 > それが「名色(認識の対象)」を探し出し、 > 自己の「六処(六つの感覚器官)」を働かせて、 > 「触(接触)」を試み、「受(感受作用)」によって、 > 相手のデータを入手する。 > しかし、このデータは、自己の持つ「無知(煩悩)」の働きによって、 > それらは、誤謬に満ちた、様々な「固定観念」や「思い込み」を > 連鎖的に生起させて、データの「色づけ(加工と補正)」をくり返す。 > そして、その結果、生まれるのが「愛(対象への好意・好感触)」。 > そこから「取(入手しようと欲する)」が生まれ、育ち、さらに増大し、 > 「有(= 有情の形成 = 滅び行く悲しい縁起の発生 )」となって、 > 「生(生起による苦しみ)」と、 > 「老死(消滅による苦しみ)」を、繰り返し味わうことになる。 文字が沢山並んでるのは苦手なんですが、非常に分かりやすいご解説たいへん有難うござい ます。これなら有る程度自分にもわかります。でも苦しみの元だとわかっていても、写真の ような対象に対しては「無智による好感触、嗚呼スキンシップしたぁ〜い」となっちゃうとw <font size="+2" color="red">わかっちゃいるけどやめられない</font> ヨグマタがいつも言われるヨグマタお気に入りのフレーズでもあります。 |