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#13976 2008年6月6日(金)16時26分
From: 聖者ぼんちリンポチェ
Subject: Re5:ぼんちゃんへ
和井 恵さんのメッセージ(#13970)への返事

> 喩えば、「活字中毒(活字への依存症)」とかね。

あはは、まるっきし私だ。

> それらの全ては、煩悩を生起させるだけの「余計な行為」なんです。

「仏教書」でさえもそうなのだから困りものです。

> 解脱をすると、その人の思考・その他は、とてもシンプルなものになります。
> だから、自分自身でも解りやすい分だけ、
> 自己をコントロールをするのも、これまた、とても簡単なのです。

うん、断片的ながら経験がないではないから、
ある程度理解できますな。
考え尽くし、苦しみ尽くしたその後は、
結局そのようにして最後の一歩を終えるようです。
・・・と、わかったつもりだけの我が身が恨めしい。ww

> 何故、「識別」をしようとするのか?
> それは、その根本に「無知(知らない・よく解らない)」が在るから。
> だから、「行(好奇心・探求心)」が動き出して、
> あれやこれやと「識(識別・区別・分別)」しようとし始める。
> それが「名色(認識の対象)」を探し出し、
> 自己の「六処(六つの感覚器官)」を働かせて、
> 「触(接触)」を試み、「受(感受作用)」によって、
> 相手のデータを入手する。
>
> しかし、このデータは、自己の持つ「無知(煩悩)」の働きによって、
> それらは、誤謬に満ちた、様々な「固定観念」や「思い込み」を
> 連鎖的に生起させて、データの「色づけ(加工と補正)」をくり返す。
>
> そして、その結果、生まれるのが「愛(対象への好意・好感触)」。
> そこから「取(入手しようと欲する)」が生まれ、育ち、さらに増大し、
>
> 「有(= 有情の形成 = 滅び行く悲しい縁起の発生 )」となって、
> 「生(生起による苦しみ)」と、
> 「老死(消滅による苦しみ)」を、繰り返し味わうことになる。

だから最初から「これは苦である」という明智があれば、
興味を持たないから、これらのプロセスは生じないと。(笑)

> ま、ここから先の「禅問答」は、ボンちゃんに任せますね。

禅ね。(笑)
あ、ちなみに、原始仏教のあり方と表面上は似たところもあるこの禅について、
どういう見解をもってます?
実生活の問題解決という点では結構使えたりもするんですけど、
「釈迦の教えたこと」・・つまり、解脱へのアプローチ方法という観点の場合です。

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