和井 恵さんのメッセージ(#13956)への返事 > >> 内因を消滅させれば、外因もその働きを止滅せざるを得ないのです。 > > >逆に外因が無ければ内因だけでは動かない・・・少なくとも僅かしか。 > >種があっても条件が無ければ発芽しないのと同じで、 > >写真やDVD無しでは勃ちにくい、少なくともある方が勃ち易い、 > >すなわち外因も共犯だと言ったわけです。 > >全面的に責任転嫁するということでなく、 > >小乗の修行環境の問題も要するにこういうことでは? > > 上記のアベルさんとのやり取りを読んでみて、どう思った? まず、話の流れの都合上(というだけでもなかろうけど)、 「外因」と「外因の働き」とは区別して考える必要があるでしょうな。 まあ、「外因の働き」がなければ、その事物は「外因」と名乗る資格もないですが。 例えばあべるさんの出してきた喩え、 女性の写真やDVDがあっても、それだけでは勃起しませんから。 見ても何とも思わず、潜在意識にも溜まらない、 そういう人に対してはその写真やDVDは外因でさえありません。 因というからには果が必要です。 そこでどうやって不還に達するか、の方法論になるわけですね。 > 「外因(トリガー)」を厭い離れるのは、釈迦のベーシックなやり方だよね。 > そして、これには「明智」が必要だった。 > これが無いと、「厭い離れる」こと自体が苦しみとなってしまうから。 これは、例えば、模範的態度でムショ勤めする、 というのが「明智を伴わない方法」であると。(笑) で、確かに「明智」を持って厭い離れるならば問題なかろうけれども、 そもそもその明智はどうやって入手するねん、ということです。 いわゆる現世大好き人間はともかく、 仮にも修行しよう、解脱しよう、悟りたいと思っている人なら、 大半が「明智さえあったらそりゃ楽じゃわい!」と考えるはず。 だから、釈迦の方法で人を不還に導く場合、 明智を会得する方法、というところがメインテーマになるでしょうな。 明智を会得させられなかったら、それは悪質商法とかとそう変わらない、 ということになってしまうと思います。 ところが、「一切皆苦」という言葉をいくら繰り返したって、 その程度じゃ明智は会得できないと。 概念を教えるは易し、会得させるは難し、です。 > で、それとは別な方法、 > 「内因」を消滅させて、外因もその働きを止滅せざるを得ない状況に追いやる方法。 > 要するに、この場合は「環境に左右されない」、つまり出家をする必要が無くなるわけだけど。 > atomさんは、この「内因を止滅させる方法」で不還に到達した人だったみたいだね。 どうやらその「内因を消滅させる」のに「激流」とやらが必要だったようで。 ま、私としてはatomさんの言う「激流」というものについて、 彼よりは私たちに対してわかりやすく解説できそうな和井恵さんからの、 「激流とは何をどうする効果のある、具体的にどのようなものであるのか。」 という解説を希望しますね。 少しatomさんはこの板に集う人たちと言語感覚が違っていたように感じるので、 いわば、通訳が必要だと思います。 ただ、どちらにしろ、 不還の一歩手前では「内因」とやらは消滅しているでしょう? つまり外因があろうとなかろうと、その時にはもう関係ないはず。 |