さくらさんのメッセージ(#13411)への返事 > さくらは、あんなに大勢のお坊さん一度にみたの初めてだったからそれだけでワクワクでした。 ああ、そうかあ。 そういうワクワクってのもあるんですなあ。 その点私は昔からそういう光景に慣れ過ぎているから、 その感動は得られない・・・・惜しいことした。 > ところで禅じゃなくって、真言宗で出家するって決めたんですか? 真言宗・・というより密教は禅の元である「禅定」を含んでいるんですよ。 入我我入、という言葉がありますね。 散念誦なんて、思いつくままに真言を唱えていく過程でも、 十分禅定に入る余地があります。 いわゆる「禅」、ことに曹洞禅などはその典型みたいなもんですが、 「何もしない」・・ひたすら座ることで・・臨済などの場合は悟りを求め、 曹洞ではその形を持って仏なりとしますね。 真言密教には、ある意味でこの中間に位置づけられるような要素が 多分に含まれているように感じます。 ひたすら座る代わりに所作、真言、観想という三密の行を修し、 三密の行は仏と同一になる修行であり、 それによって煩悩を昇華し、悟りを深める。 チベット密教はこの方法論をさらに発展させていると。 で、私の考えている、おそらく今後私のスタンスとして確立していくものとしては、 密教と禅仏教とのミックスになっていくと思うんですな。 主に昨年中盤後半で、耕地をするのに使ったのが禅で、 心の荒れとなる要素を禅の方式で斬っていけるようにしたと。 次に、死んだ従弟の闘病状態を利用して、 密教という、本来私が一番居心地の良い場所に座を戻し、 禅で得た状態を具体的に深めていこうとしてるわけです。 まあ、もともと小ネタ好きで、舞台上でも じ〜〜〜〜っと何もしないなんて出来ない人だから、 あれこれ、所作や印や真言がある方が、 性に合ってるのですよ。(笑) |