아벨(Abel)さんのメッセージ(#12981)への返事 > 元芝さんのメッセージ(#12979)への返事 > > > どっちにしても、神の造りたもうたものに不必要なものは存在しないってことです。 > > 人生を芝居にたとえた人がいたと思いますが、芝居の登場人物の中には、斬られ役とか > 騙されて非業の死を遂げる役とか、虐殺にあう役、戦災や災害で集団で虫けらのように > 殺される役とか色々ありますよね。神さんが書いた台本の中にもいろんな役柄があって、 > 中には不幸な星の下に生まれて、ろくなものも食えずに悲劇的な一生を終わる香具師だの > 先天性の病気とか。 > 天理教では教典に「前生いんねん」と明確に書いてて世間から避難轟々、ついに教典の > 文言を削ってしまったという騒ぎがありましたが、素直に考えて「神さん不合理」としか > 思えず、到底徹底して「神の名を褒める」なんて気にはなれない場合も多いと思うのですが・・・ この世をそういう人生劇みたいな例えをするとするならば、人類全員が同じ役なんて有り得ないわけでしょ? で、そういう比喩を使うならば、個々人の視点・立場においてそれぞれが主人公な分けですが、個々人がそれぞれの与えられた(正確には自ら書き下ろした、すなわちサンスカーラ)シナリオ(カルマ)にそって役(その時の生)を演じているわけです。しかも、無知というエネルギーの作用を使って、自ら書き、自ら演じているということすら忘れて。 中にはサンスカーラの使い方に気がついて輝かしい人生を自ら作る者もいるし、気づくことなく周りの状況に流されて(自らのサンスカーラで生きることなく)悲惨な役を演じ続ける者もいます。 その中でも到底徹底して「神の名を褒める」ことをサンスカーラに刻み、これを演じ続ける人もいれば、シナリオとそれを現実に直すカルマの存在に気がついて、そのシナリオやカルマ、役(生。永劫の役者にして観客)そのものからの脱却を目指す者もいるわけです。 この比喩分かりづらいかも。 こんな説明でいいかな? > > > 他人の不幸は蜜の味。って言うでしょ? > > あれが究極的には自分の不幸も蜜の味になっちゃう、ってのが今の俺の悟りです。 > > カルマが清算されてるぞ、底を打ちつつあるぞ、っていうのとも、また違うのでしょうか。 というか、自分自身の不幸さえも楽しめる絶対的心の余裕というか・自由というか、絶対的な客観視が出来てくるというかそんな感じです。 |