![]() ココのお馬も元の方いるでしょ? 俺も一応元なんだけど、 オウム以前に修行や宗教にかかわる生活を送っているわけですね 基本カテゴリーは修行者なのですよ。 んでだね、オウム事件は悪いし、お父さんのような 方は極悪人と思っていますが、宗教の重要性や修行の大切さって 身に染みているわけです。 で、今もいろいろと修行しているわけです。 オウムのカテゴリーがチベット密教や仏教といわれれば 本当かどうか真偽を確かめるために チベット密教の修行もしました。 タントラならタオなどもやりました。 仏教なら原始仏典やティーラバーダ協会にも行きました。 つまり、オウムを辞めても元々修行者だったんだよね。 だから、YASUさんやぼんちさんとかの気持ちや考えもわかります。 それをいれるとらくさんは修行者というよりたまたまオウムに来た 感じですから、こういう人は基本的に修行者かどうか 考えると違うような気もします。 つまり、修行者系お馬、非修行者系お馬というカテゴリーもあって いいのではないかと思うのですね。 また、全然しないけど知識は入れるよという分類もあっていいかもと。 そうなると実践型修行者系お馬と非実践型修行者系お馬となるのかな? それと私個人でも思うのは元々、宗教から問題が派生しているので 最終的に教義の問題になってきます。 つまり、教義はお父さんが作ったわけですから、お父さんの精神が宿っているわけです。エネルギーは一度作られて、その前提は崩しにくいのでその精神は 宿っているわけですから。 私個人ではお父さんの精神をもう「宿したくない=触れたくもない」と 思っていますw それは基本的にどんなに大層にしててもお父さんがかなえたい欲が 教義にこめられているからと思うからね。 だから、あんな感じになったと。 つまり、アストラルのエネルギー、潜在的な部分の影響ってものすごいと いうことです。 だから、文章だけ穿り返しても意味なくて、結局作った人の精神性に 起因すると思うのです。 私はこういうスタンスなのに、言葉尻や一部をなぜか取って おうむを調子付かせているとかいろいろいわれますが 基本的にその人の読解力に問題があると思うんですね。 ま、丁寧に書きましたが、普通は無視ですねw一般的にw |