ぼんち@SoftBankさんのメッセージ(#10866)への返事 > 謝るんなら、今更どうしようもないことを、 > 大義名分として利用したことを謝れ、 > ということですわ。 > 「睡眠に話したのが悪かった」という謝罪では、 > そこから導き出せる結論としては、 > 「睡眠は悪漢、卑劣漢、馬鹿者」ということしかないでしょう。 > 表面上、自分の見る目のなさを詫びているようで、 > その実相手を貶めているだけ、つまり単なる喧嘩ですやん。 > そんな謝罪もどきには一片の同情の余地とてありません。 > こちらから徹底的にその話の実用性を破壊し尽くすのみです。 謝る。 1.何を 2.誰に 3.なぜこうなっちゃったか!? を明確にさせる。 そして、本当に大切なのは「二度と同じような過ちを犯さない」って実績を積んでこそ その謝罪に重みが出てきて、それが「誠意」になるんじゃないかな? (「ゴメンナサイ」と音声を発するだけの人に対して上記の3点を質問すると 「だから謝ってるだろ!!」って(逆ギレってんですか?)なる輩もいるくらいで、 こういう輩は「謝る」ことはできないのか謝りたくないのか?) > 私はすばりヨッシーさんに尋ねたいことがあります。 > ヨッシーさんは人に利用されて生きてきたのですか? > それも、単なる踏み台や雑巾役として…。 > そして利用の後は「祭り上げられる」のではなく、 > 「捨てられてきた」のですか? 一般論として、何でも人のせいにしたがる人は、単なるわがままでなければ、 それまでの人間関係において何でも自分のせいにされてきた人が多いです。 ある「事件」に何らかの形で関与してしまったらすべてそのひとのせいにと。 「いつも遅刻してくるオマエがちゃんと定刻で来るから悪いんだ」みたいな・・・。 そして「お決まりのパターン」を伝家の宝刀みたいにその手法を用いるのは、 「その手法の“有効性”」をかなり信望しているからでしょうし。 仮に下痢してたまたま飲んだ正●丸。それががすごく効いたら、 食べ過ぎ下痢でも疲労性下痢でも胃腸風邪下痢でも正●丸。 つまり「その手法」の有効性を身をもって感じれればなおのこと。 身近に人を利用して願望を叶える人がいて「かっこいい」って感じたか、あるいは自らが 利用されて「鳶に油揚げ〜〜」みたいにされてその「有効性」を痛感したかとかの 経験の積み重ねが自己防衛本能と共鳴してそうなる傾向とかもかなり多いみたいですよ。 |