| > 遠くから垣間見たりすると楽しいオカマの生態観察も、かかわりを持たざるを得ない方にとっては…。
だってさあ、私が「悪口言われてる」本人かもしれないんだよ。 やってられません。
> 以前オカマの方が、女はね、生まれっぱなしで女のつもりだけどそういうのはメスっていうの。女はね、生まれっぱなしでは駄目なの。成るものなの。 > とおっしゃっていたのをふと思い出しました。(もちろんその方の意見がオカマさん方の総意だとは思いませんが) > その時は、物腰、立ち居振る舞い、話し方などで、男性の歓心を買う、媚を売ることを言っているのだと思いました。
逆にその人に質問してみたいですな。 あなたのいうメスと女、両方の定義を対比させつつ述べて下さい、とね。
> 今考えると、その方にはその方なりのあるべき「女」像があって、心身ともに「女」を目指していらしたのかもしれません。
少し視点を変えた事例を言ってあげましょうか。 でも教材(笑)は、私が「オカマの腐ったような」と思っている上述の人です。 一度、「エフゲニ・オネーギン」というチャイコフスキーのオペラを その人のオネーギンで見たことがあります。 ハイティーンの女の子があこがれてしまうくらいカッコイイ貴族の役ですが、 他のどのバリトンがやるよりカッコイイ。 これ、なんでかわかります? つまり、宝塚と同じ原理なんですよ。 女の目から見た、カッコイイ男性像というものをオカマは持ってるわけですよね? そしてそれを演ずるわけですが、宝塚の場合、演じてるのは所詮女。 付くべきものが付いていない以上(笑)、体は厳然として女なんですね。 でも、オカマなら付くべきものが付いてます。 つまり、厳然として男の体を持った人間が、 一般の男が思い描いているよりもハイレベルなイメージを持って、 「男」を演じるわけです。 どれだけカッコイイか・・・。
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