| > 一般人が突然放り込まれたらびっくりする業界でしょうね。 > でも、慣れたら楽しいかも。
え、慣れたら? ・・・超うざいだけですな。
> カミングアウトという言葉からは、「同性愛者だと告白する」というだけでなく「人として何か突き抜けた行為をした人」という何か潔い印象を感じます。 > ぼんちさんの仰る「理性の躊躇いがあまりない」というところと繋がる部分でしょう。 > 自分が本来あるべきだと感じる性を選択し、オカマとして生きることを選んだときに、「理性の躊躇い」を外すことを自分が本来あるべきだと感じる性を選択するという一点のみに行うか、いくつもの部分で「理性の躊躇いがあまりない」かが、 > ぼんちさんの仰る「オカマ」と「オカマの腐ったような人」との分岐点なんでしょうね。
そ、その違いですね。 ついでにぜーんぶ外してしまう人が、「業界内」のオカマには多いようです。
> この辺を読むと、女についてよく言われるところの人として好ましからざる部分の集積が「オカマの腐ったような人」にみられているようですね。 > ただ、そのような特徴を持つ人は、男性にも、女性にも居ますよね。
いますがね、男の中でそういう人の割、女の中でそういう人の割、 いずれもオカマの中でそういう人の割に比べれば、いないも同然かも。
> 「オカマの腐ったような人」の心の働きとして、自分は男性性を放棄するのだから「女」のようにあらねばならないというものがあるのかしら?
それだけ物事を否定的に見る傾向が、人間全体にあるのかもしれませんね。 もう少し、「女の良いところ」を見習ってくれるといいんですがね。
> その人自身がゆがんだ女性像を持っていて、そうあらねばならないと(無意識のうちに)行動しているのだとしたら、さくらのオカマ観(とらわれのない自由な人)は修正しなければならないのかも知れません。
そういう人もいるから、別に修正までしなくて良いと思いますが、 みんなそんなのだろう、と思っていると痛い目に遭います。 特に、「腐った」オカマは、お世辞だけはやたらうまいですから。
> 従来の女の腐ったようなからは女も、オカマも、人間も外して、腐ったやつ、クサレ等と表現するのが良いと思います。
あ、それいいですね。 ただし、その前に、「女の腐ったような」という表現をもう一度見直しておく、 そういう必要性も感じています。 もちろん、復権させろとはいいませんが、 「女の」でなければ表現できないニュアンスが何か含まれていないか、 定義の隅々まで、もう一度確認する必要があるでしょう。 いきなり言葉だけ変えても、本質を見失ってはどうしようもないですから。
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