教団に別になんの感情もないよ。 ただ間違っているものは間違っているから「間違ってるよ」と言ってるだけ。 明らかに解釈や行法の拙さ、未熟さがあるから。 瞑想修行の根本、礎、外してはならない一点 「汝自身を知れ」 すら持たないのが教団の教義・行法だから。 その他のカルマだとか慈悲だとかは「汝自身を知る」ことから分かったことでしか無いから極論あまり意味を持たないと思う。 それよりも「汝自身を知る」ことによって立ち現れる「完全性」、つまり自分の中に存在する「完全性」を見つけ出し、表現できるようになることが一番必要なことだと思う。 そして、オウム・アーレフは「自身の内側の完全性」あるいは「仏性」と言う言葉に表せるものを肯定していながら「尊師でなければ!」とか「功徳を積まなければ!」とかの「自身の内側の完全性」の否定をする。 これでどうやって完全性を立ち現せることができるのか? 常にこれを俺はいろんな形を変えて言ってきています。 むしろ、それが教義の中に含まれるならば、その内側の探索方法が行法に加わるならば結構なことなので、それがA派だったら、あるいはM派でも良いけど、もう何も言いませんよ。 で、それに対して「教団憎し」と感じるのはそれはyasuさんの中の要素だと思う。 その部分を受け入れることが無いだろうと踏んでいるからこれ以上多くの人を巻き込まないようにいったん教団は潰れた方がいいと思うし、潰す方向で俺は動きます。 多くの日本人のこれからの霊的進歩のためにも。 なまじ生兵法の法則なんか残っていては危険なだけです。 捨て去るべきものは捨て去るべきだと思うのです。 |