傍聴マニアさんのメッセージ(#29264)への返事 ありがとうございます。 私の中での疑問がいくつか氷解しました。 質問とお答えをまとめたいと思います。 ↓ > >「情報を教えたから50万出せ」「ミャンマーから通達があったから50万出せ」は言っていなかったでしょうか? > お答えします。 > 一番の上の質問は、「言ってなかった」です。 ミャンマー人は、具体的にはどういう言葉を発したのか?はご記憶でしょうか? > >このブログではありませんか? > ブログは、それです。すごいです(笑)。 それは私のブログです(笑) ちなみに「里山」というのはテンプレートのデザインロゴです。 ブログのタイトルは「思いつくまま」といいます(^^) このブログからオンフルール板にたどり着いたと仰っていましたが、 え〜と、私のブログのなかでこの板を取り上げていましたでしょうか? なんせ、タイトルどおり「思いつくまま」書いていますので、自分でも何を書いたかしっかと覚えていないのです(^^;) > >つかぬ事をお聞きしますが↓のアドに見覚えはありますでしょうか? ↓ > アドレスは、見覚えはありません このアドレスは、丁度一年前の今頃に、長井記者の友人でカメラ返還活動をなさっている方のものです。私はその方に件の恐喝未遂事件のことを話し、カメラ返還に微々たる関連でも見つかり次第に連絡しますと伝えてあります。 で、今回登場された傍聴マニアさんを、 「もしかしたらこの方か若しくは同じグループの方かな?」と思いました。 傍聴マニアさんは、どうやらまた別の方のようですね。 > >@ABCDE >>@「恐喝未遂」の着手の時期は1/14で認められたのでしょうか? というのが、その数日前(12日までに)に、「ミャンマーから日本政府に『カメラを探すから型式や製造番号など詳細を教えてください』と通達が来た」いう経緯があります。 この通達の時期と恐喝未遂事件との接近がどうも気になります。 ↓ > @は、意味がわかりません。すみません(汗)。 説明不足ですみません。 もう一度↓を見ていただければわかりますが、 http://blog.goo.ne.jp/seela_001/e/3487c340a001175325d749ac6b3a2d3e 1/14の時事通信ニュースで、1/12までに「軍政が日本政府に対して、長井氏のカメラの製造某番号を教えて欲しい」と通達している旨を発表しています。 そして、恐喝未遂事件が起こったのが1/14です。 軍政からの働きかけがあった日の直後に恐喝事件が起こっている。 これは偶然なのか?それとも何らかの関連があるのか?と疑問が生じたのです。 >>Aミャンマー人被告の発言には「記者のほうから話を持って来た」というのもあったようですが、これは主張として認められたのでしょうか? ↓ > Aは、判決で「触れられてなかった」と思います。(メモにもなく、記憶が曖昧です)。 またこれで新たな疑問が生じました。 ミャンマー人から記者に話をした、記者からミャンマー人に話を持ってきた、 一体どちらからなのか? ミャンマー人からならば、本来は社長に言うところだがAPF社員であるからという理由で記者に話したのか、 記者からならば、なぜこのミャンマー人に「カメラ返還に協力してくれないか」と話を持ちかけるのか? これは重要なキーなのですが、裁判では触れられていなかったのですね? >>B恐喝行為が行われるシチュエーションですが、 ミャンマー人被告が飲食店に入る記者を追いかけていったのでしょうか? それとも、あらかじめふたりは待ち合わせして飲食店で落ち合ったのでしょうか? ↓ > Bは、「二人は別な場所からいっしょにタクシーで移動した後、店に入った」そうです。 Bについてはまた疑問? ふたりで別の場所からタクシーで移動ということは、 あらかじめふたりは落ち合って一緒にタクシーに乗ったということでしょうか? で、ふたりが出会う“最初のきっかけ”は何だったのでしょう? それについては語られていましたか? >>C1/14以降はミャンマー人と記者は会っていないのでしょうか? >>E恐喝行為があったのは1/14、逮捕は9月後半(長井さん一周忌の一週間前) このインターバルは??? ↓ > CEは、「被告は脅したとされる日以降、逮捕直前までミャンマーにいた」そうです。 >Eメモを見たら記者さんの被害の届出は脅された翌日でした。 2008年1/〜12までに軍政から日本政府に「カメラの製造番号を教えて」と通達 →1/14、ミャンマー人の恐喝行為発生→1/15、記者が警察に被害届けを出す。 →1/14直後にミャンマー人は一時ミャンマーに帰国→9/23再入国したミャンマー人を逮捕。 この流れになります。 >>Dミャンマー人被告は「俺をコケにしているのか」「俺をなめるとただではおかない」とこなれた日本語を使っていますが、彼は流暢に話したでしょうか? それとも外国人特有のカタコトだったでしょうか? ↓ > Dは、被告は否定しませんでした。 否定しなかったということは「言いました」と肯定したのでしょうか? それから再度お尋ねしますが、ミャンマー人はカタコトだったでしょうか? というのが、ミャンマー人は日本語をかなり理解できてボキャブラリーが多いのか、 それともあまりボキャブラリーがないのか?と疑問が生じたからです。 もしかしたらボキャブラリーが乏しくて、 脅す気はなかったが結果的に荒い言葉となってしまったのかな?とも思います。 例えば「ハナシ キイテクレナイト アナタ コロスヨ」と言ったとします。 しかし発言者は殺意を表明したのではなく、 単に話を聞いて欲しいと真摯に切望したつもりだった、という場合もあります。 また質問ですが、恐喝未遂の証拠とされた「ミャンマー人の恐喝行為と思われる発言」、その音声を録音したテープは聞かれましたでしょうか? 傍聴マニアさんのお答えで、恐喝行為が1月、逮捕が9月の謎は解けましたが・・・ これはこれでまた新たな謎が生じます。 恐喝行為?を行った直後、ミャンマー人は何のために本国に戻ったのか? そして9月に再入国したのは偶然か?はたまた何らかの意味があるのか? またまた長文を失礼します。 ムリをなさらずに少しずつお話してくださいね。 それから最後になりましたが、先日の私が「最近の軍政の動きで気になる」と書いた件。 失礼、軍政ではなく“ミャンマーの動き”でした。 10月末に長井氏の遺品写真公開が行われています。 ↓ 「ミャンマーで射殺の長井さんの遺品公開か」 http://www.asahi.com/international/update/1027/TKY200910270113.html なぜ2年も過ぎた今頃になって写真公開などが行われるのか? これもまた疑問です。 ひとつの謎が解けたら次の謎、新たなる現象による謎、 と次々と謎が浮上してきますが、水面下の澱みを取り除いていきましょう。 |