ヤツガレの記憶が正しければ、平成4年の暮れ、朝日新聞の記者から、歌舞伎町の中国マフィアを取材したいから、華僑の実力者とヤクザの組長クラスを紹介して頂けますか。 と言う申し出が、あった。 あった場所は、風林会館だった。 朝日新聞の記者から、長井君を紹介された。 歌舞伎町の華僑の実力者2人、任侠奉行の古老を紹介した。 平成6、7年頃、パタヤで、行きつけのカラオケクラブで、偶然、田中君にあった。 ヤツガレが、この情報を流した先が、長井君である。 ヤツガレが、平成8年2月頃、バンコクで身柄確保された後、 田中君は偽ドル事件で身柄を逮捕されている。 長井君は、警視庁に面会に来たので、田中君の写真を託した。 ここで、ヤツガレは府中に服役して、長井君との交流は絶えている。 刑期満了に伴い、釈放後、数年してから、実話ナックルズにヤツガレが実名報道された後に、 長井君が、ヤツガレの元を訪ねて来た。 その結果、長井君はバンコクに飛んだ。 長井君がバンコク滞在中、お隣の国ミャンマー事件が勃発した。 APF通信社の社長としては、東京からミャンマー事件取材に、自社のカメラマンをやるより、 フリーの映像カメラマンで、長井君がバンコクに滞在している。 それじゃ長井君に頼むと言うことになり、 長井君がミャンマーに飛んだ。 これが真相でないのか。 正社員でなく、ミャンマー事件の取材を委託したに過ぎない。 と言う疑問が残る。 長井君の死によって、正社員に昇格なら、わからない訳でもないが!? |