![]() 元芝さんのメッセージ(#26654)への返事 少し、私見を書かせて頂きます。 > 抱きつかれた、この人物は「女性」で、 > 「抱きつく」つまりそういう行為は「性欲」という概念・想念がこの僧自身にはあるから、 > あるからこそ「自分にはそのような穢れはない」あるいは「女性は穢れ」と女性を突き放した。 私もここまでは、元芝さんと同じ考えですが、少し違うのは、 性欲は「概念・想念」というよりも、もっと生々しい「欲求」だと感じていることです。 > もし、そのような概念・想念が無いなら > 「ニッコリと笑ってどうなさいました?」とでも返して、 > 彼女の思いに応えるでもなく、彼女に恥を掻かすでもない、大人な態度が取れたはず。 > > こういう余裕が真の仏教者・解脱者には欲しいわけです。 このお話しでは、信心深い老婦人が、 「修行中の僧侶がどれくらい修行が出来ているかを試そうとした」のですから、 この僧侶に完璧な「理想的な僧侶の姿」を求めていたわけでは無いのだと思います。 ただ、正しい修行が、ちゃんと出来ているかどうかの「確認」をしようとしたのだ、 というのが私の解釈です。 隣家の若い娘に抱きつかれた僧侶は、性欲を感じてしまい、思わずその娘を突き放します。 そして、突き放して置きながら、その自身に起きた性欲に目を向けようともせずに、 「枯木寒巌に倚る三冬暖気無し」という虚言(自己をそれらしく見せる着飾った説明)を言いました。 しかし、なによりも、「突き放す」必要があったのは、相手の女性などではなく、 自分の心の中に生じてしまった「性欲」の方であったはずなのです。 つまり、修行者として最も必要な「自己の心を観察」して煩悩と対峙することを忘れ、 心に起きてきた欲望・煩悩を「相手のせいにしてしまう」という行為に及んでしまった。 これを見た信心深い老婦人は、この僧侶に失望して追い出し、庵を焼いてしまった、 というお話しだと思います。 闘う敵は、他人に非ず、自己の心のみなり。 (外に敵がいると思って行動していると、いつの間にか自分がその敵になってしまう) というような教えを示しているのだと、個人的には思います。 横レス、失礼を致しました。 |