YASUさんのメッセージ(#26250)への返事 > 「真我」と名前が付いている自体、五蘊の構成物ではないですか。 > つまり、三界の中にあるものです。 いや、三界の中にあるのであれば、 それは三界の中にいる我々としては「ある」と言わねばなりますまい。 だいたいね、「真我と名づけられているもの」というのは、 別に最初から「真我」という名がついているわけではないのです。 ですから、「真我」という名前は確かに五蘊の構成物だと思いますが、 「真我と名づけられているもの」が五蘊の構成物かどうか、 そこのところは結論出てないわけでしょ、諸説出ているのですから。 問題は、「真我」と名づけたくもなるような対象物が、 三界の中であれ外であれ、存在するのかどうか、ということが およそ問題になってきたわけでしょ。 ちなみに、議論を見ていて、そこで論じられていると思われる「真我」とは、 人間(あるいは生物)個々人において、 煩悩を完全に滅してさらに(実在的であれ概念的であれ)残る、 他人の「真我」とは明らかに別存在である個々人固有のもの、 であると考えています。 だからその意味での「真我」を想定している人から見れば、 例えば釈迦は、「肉体を生かすために必要な煩悩」を除外すれば、 心の状態としては「真我」とイコールである、 という風に見えるでしょう。 オウムなどは、このような意味で「真我」を想定していたでしょう。 ・・・というものについて議論していると私の目には映っています。 > それに、ソンシが唱えている説でもあるので、 > わたしは否定もしたくなるんです。 それは単なる感情論ですな。 > しかしながら、 > 元芝さんも和井恵さんも真我を想定しているんですから、理解できないです。 想定したからといって破綻を来さないから想定しているんではないでしょうか。 もう少し別の意味の「真我」を想定している可能性もありそうですし。 |