mixi ディオゲネスの樽さんの日記 ポア論復活 2009年07月29日01:57 先日(7月26日)の東京での説法会を聞いていると、耳を疑うような例え話が出てきた。 秋葉原などでの無差別殺人事件で、犯人が次々と一般人を殺害している現場において犯人を警察官が射殺するのはやむをえない行為である、という内容である。 この例え話を聞いて、これを問題視する人はおそらく少ないだろうと思う。 しかしながら、この論理こそが危険とされた「ポア」の考え方そのものなのである。 まぁ、違いがあるとするなら、ポアはこれ以上の悪業を積ませないよう犯人のためにする「慈悲殺人」であるのに対し、この例えではこれ以上の被害者を生み出さないための「利他殺人」と言えるのかもしれない。 いずれにせよ、オウム以来、封印・破棄された「殺人を肯定する教義」が復活した訳だ。 一般の方々とは違い、オウム事件を経験した人間がこの例えを語るには非常に大きな意味を持つのは確かである。 この説法に驚いた私は早速団体に以下のメールを送った。感情的になって書いたので多少支離滅裂ではあるが、お許し頂きたい。 ============================= 本日の説法において、是非とも意見申し上げたくメール致します。 秋葉原での事件で、犯人の射殺は仕方がないという主旨の発言ですが、ポア理論の復活を意味するかなり無節操な発言であろうと思います。 殺生がダメだからといって、そのような状況におかれた警察官を射殺したからと責めるのはおかしいという理屈なのでしょうけど、この事こそが旧教団でいっていた「ポア」そのものであると言うことをわかった上での発言なのでしょうか。 悪業多き魂がいて、生きていては、益々悪業を重ねる。その魂をポアすることは善業になるのか、悪業になるのか、と麻原は言ったわけですが、代表も同じ考えなのでしょうか。 利他の殺人なら肯定するのでしょうか。 秋葉原の事件において、犯人は殺されても仕方のない悪業多き魂なのでしょうか。 それが、事件を経験し反省したという我々が言ってもいい言葉なんですか。 代表はもし現場の警察官なら、間違なくなく犯人を射殺すると理解してよろしいですか。 そしてそれは、オウム事件の実行犯と考えの違いはあるのですか。 方便にしてはあまりにも稚拙すぎます。誤解を受けやすいし、利用されやすい。 納得のいく説明を求めます。 ================================ 今朝(7:30)に電話で回答があった。(長電話を恐れ、朝の忙しい時間帯を狙ったとは思いたくはないが、もうちょっとなんとかならんか) 例のマシンガントークで説明されたので、よく整理しきれていないが、秋葉原の例は、一般常識から外れてもいないし、逆に殺人を否定するがあまり、正当防衛や死刑制度まで否定しては、返って現実的ではなくなる、という主旨であった。 正当防衛は、自らの命の危険を感じた時には相手を「殺してもよい」という意味ではなく、あくまでも殺してはいけないが、その場合は「罪に問わない」だけだとか、死刑制度存置における犯罪抑止力の効果は甚だ疑わしい、だとか反論はあったのだが口を挟めなかった。 私の場合は、ポア理論を否定するなら、死刑制度も否定すべきではないかという理論展開を世間に対してしてきたわけだが、代表の場合は死刑制度を認めるのならポア理論も認めるべきだという理論展開をしたいようだ。 いずれにせよ、賽は投げられた。公安当局もこの発言には注目するに違いない。団体を批判しようと思えば、犯罪者(悪業多き魂)を射殺してもよいという考え方も同時に批判することになる。 ややこしいから見逃しよるかな? |