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#23267 2009年7月3日(金)05時44分
From: 影晃
Subject: 浄解脱
サリン事件に関して、自分なりの個人的見解としては、「善意が為した必要悪」だと感じています。

自分は、オウムに実際に潜入していた元公安の方と一緒にワインを飲んだ経験があります。いわば破戒です。その際のインスピや、その他諸々の根拠を加味して思ったのは、

オウムが「衆生救済のためには、手段を選ばない」と善意によって考え、そのカルマの流れに共鳴するように、
公安が「日本社会の安定のためには、オウムを潰すしかなく、そのためなら手段は選ばない」と善意によって考え、公安がサリンを撒いたのではないかと感じます。

武器を製造させるなど、弟子の観念を破壊するという“修行”が理解できない公安にとって、オウムはまさに脅威と映ったのではないでしょうか(ただし、刈谷さんの事件や、坂本弁護士一家殺害事件など、修行というより、教団の維持が目的で生じた事件があり、脅威と映るのは当然とも思えます)。
オウム真理教を完膚なきまでに叩き潰す大義名分を得るために、公安が地下鉄サリン事件を起こし、「日本社会のためには、多少の犠牲は仕方ない」という(オウムと同じ)善意が背景にあったのではないかと、私は推測します。

そして、被害者の方々を哀れむ想いが、メディアや警察らの「思いやるが故の怒り」、「思いやるが故の批判」へと発展していったんじゃないかと、感じます。

ただ、天界レベルの視点となると、また話は変わってくるでしょうから、人間界レベルの視点だけが重要とも思ってはいません。

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