影晃さんのメッセージ(#23137)への返事 > 検証しないと受け入れられない、と思う状態が、 > > 自己の世界を限定してしまっていると言えるのではないでしょうか。 > > 恋が「こういうタイプだけ好き」という、本人の煩悩や外的条件に左右される不自由な限定的精神状態だとすると、 > > 愛は「どのようなタイプであろうと愛せる」という、本人の煩悩や外的条件に左右されない自由で不動な精神状態と言えるでしょう。 > ふむ。 だからといって(愛してるからといって)その相手が為すこと全てがオールOKなわけないでしょ? 愛しているからといってその人が他者に迷惑をかけることを咎めないのは単に「阿呆」で相手に自分の思考を放り投げているだけであって無責任の極みで実は愛ではなく「依存」です。 愛することと相手に依存することは違います。 愛するが故に間違いは間違いです。 オールOKが愛ではありません。 > 同様に、「こういう場合は疑い、こういう場合は信じる」という、特定の価値基準や外的要素に左右される限定的状態とは不自由であり、 > > 逆に、「どのような場合でも疑えて、どのような場合でも信じられる」という、取り立てて価値基準や外的要素に左右されない精神状態とは、自由であると私は実感しています。 > あなたのは単に選択の自由なのではないですか? 単に「全選択」という思考の放棄ではないですか? 真に自由とは条件に左右されないのではなく「選択が幻だと理解しつつ幻を利用する」ところにあると思います。 > ですから、私は今からアレフに入会して熱心に帰依することもでき、ひかりの輪に入会して熱心にアレフ批判をすることもでき、学会に戻って池田先生を信奉することも、サンデー大梵天と新宗教を立ち上げることも、簡単にできます。 > > 反省する上で、一連の事件の原因等、過去を振り返ることは重要だと思いますが、その果てに行き着いた精神状態が限定的で不自由なものであれば、それは何かおかしいと思います。 なんだか聞いてて頭痛くなってきましたがあなたの観念の中には「不自由=悪」って公式がありませんか? しかもその自由は=思考の放棄、なのではないかと。 結果から言って「不自由の中にしか真の自由は無い」で、止めておきます。 考えてください。 |