俺を批判してるみたいです。 それとも俺の被害妄想でしょうか? しかし、45歳のいい大人が銀英伝って(笑) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 疾風のウォルフ 2009年06月19日 00:42 以前、教団がオウム真理教だったとき、Mさんという人がいた。 この人はオウムの女性スッタッフに片思いをし、そしてふられた。 そしてこのことをきっかけに、ふられたこと、そして自分自身の不幸をオウムのせいにして、機会あるごとに難癖をつけている。 しかし、彼は気づいていない。 あるいは、うっすらとわかっているのかも知れないが、それは絶対に認められない。 自分が、オウムと同じことをやっていることを。 「怒り」というものは、自分の中の悪業を隠すために生じるのである。 人は、自分の中にある悪業を、他人の中に見たくないという潜在的な意識がある。 そして、本来この悪業は自分自身の問題であるのに、(自分に悪業があることを見たくない、認めたくないので)その問題を他人のせいにして、他人に対して怒りが生じるのである。 この怒りが出る根本的な原因は、本来は自分自身が努力して乗り越えるべき問題なのに、自分は努力したくないという怠惰の気持ちと、他人へ依存して他人の力によって、楽して幸福のなりたいという依存の意識である。 つまり、本当は自分自身の努力によって乗り越えるべき問題を、他人に依存して、(自分は努力しないで)他人からの奉仕によって自分が幸福になりたいと思っていること、これが怒りの原因となるということである。 別な表現をすると、「私は楽して幸福になりたいんだ。お前は私の幸福のためにちゃんとやれ。」という意識が自分のなかにあり、そしてその他人が自分の思い通りにならないことから(思い通りになるはずがないので)、その他人に対して怒りが生じるという意識の構造が怒りの原因である。 自分に悪業があると認めてしまうと、自分で努力しなければならないから、自分の悪業と同じものを他人の中に見ると嫌悪が生じるのである。 現代のほとんどの人は、この意識構造にはまっている。 私もそうである。まだまだ努力が足りない。 彼がオウムと同じ行く末にならないように祈る。 観音様の慈悲の加護が彼にありますように。 |