![]() 아벨(Abel)さんのメッセージ(#22547)への返事 > 何も悪いことしてないのに何故自分が酷いめにあうのか? なんて嘆く人は多いと思います > けど、そういう発想の人ってカルマの法則妄信者w 誰がいつ酷い目にあっても全然不思議 > なんてない、というのが「科学的合理主義」ってものなんでしょうけど。 問題はね、何故そうなったのかという「理屈付け・分析」に陥るのではなくて、 すでに今起きている現象を、どうすれば活用(有効化)することが出来るか、ということなんですよ。 出来事そのものには、別に良いも悪いも無いんです。 本当はね。 しかし、その人の持つ「行」の働きが「識別」に働きかけて、 善悪や好悪の囚われ(色付け)を生じさせてしまうんです。 そして、その人が本来持っているはずの「自由な選択性・自在性」を、 偏ったモノ(それしか選べない・必然)に転変させてしまうのです。 よく言うでしょ。 コップに半分水が入っている。 これを「半分も入っている」と感じるのも、「半分しか入っていない」と感じるのも、 ただ、「半分入っている」と感じるのも、本来はその人の自由(任意)なはずなのです。 でも、人によって「偏った、特定の認識」を選んでしまうのは、そこに「行」が働くからです。 出来事そのものは、その全てが「塞翁が馬」だと言うことが出来ます。 因と縁によって「仮合されて現れた現象」にしか過ぎませんから、 次に与える条件次第で、幾通りにも変化することが出来る「可変性」を持っています。 ですから、何故そうなったのかという過去の理由をあれこれ考えてしまうよりも、 そこから先の、自分の行動の選択肢を冷静に考えて選んだ方が有益なはずですよね。 しかし、それをスムーズに(身・口・意の働きとして)行動出来ないのは、 その人が「行(それまでに造ってしまっている形成作用)」に支配されているからです。 この、未来への自在性を育てることこそが、「科学的合理主義」と言えるのではないでしょうか? |