野田さんのブログ コメントより 『生成と収束』 「光あれ」のひと言で世界が動き出し、「諸行無常の響きあり」と詠い世界が沈黙する。 生成と収束 仏教にはこの両方が揃っている。 精神至上の世界観から見れば、科学(≒物質)至上主義は悪魔でしかない。逆から見れば精神の測定不能な領域は打ち破るべき対象でしかない。 でも「敵を愛せよ」両者は結局一体であってこそ自由がもたらされる。 | 200906-08 19:40:19 | 二拍子 #bpaDcD86 このうち 生成と収束 仏教にはこの両方が揃っている。 には 生成と収束、そしてその両方が静まり返りかつ働き出す寸前の姿、絶妙なる神秘の間隙、「無」(あるいは空) 仏教にはこの3つが揃っている。 と最近思うようになった。 精神至上主義と科学至上主義は敵対してもいいと思う。 変にお互いの共通点や妥協点など探さなくてもいいように思う。 相反する二つがぶつかり合うことで世界はダイナミックに変化していくのだから。 と最近思う。 人間は自分の世界の安定を望む習性がある。 だから「生成と収束」と捉えるのではないだろうか? まさか自分の知る世界が、あるいは存在に「無」があるとは思いたくないのではないのだろうか? 相反する二つのぶつかり合いによる世界のダイナミックな変動・多様なる動きを避けるがゆえに共通点や妥協点を探り融和させることで安定を求めるのではなかろうか? この世は無常。 世界は変動し多様に変化する。 これは絶対に避けられない。 もちろんこの二つはお互いを補完するものでもあることは否定しません。 でもまだそのモードではなく「相反モード」なんじゃないかなぁ。 今の我々の世界では。 |