![]() 補足説明をしておきます。 前回(一つ上)のコメントは、方便を使った一つの説明です。 そして、何故、このような説明を書いたのかと言えば、 チェ・出腹さんがされている質問のように、鳥を見て、 「 雨の日はどうするのか?鷲に食われたら苦痛だろうな」と、 そこから受ける印象を、否定的に捉えて観ることも、 それとは逆に(無理をして肯定的に考えてみようと)、 「 大空を飛べて楽しそうだな」と思っててみたとしても、 それらは共に「三悪趣」という世界観(観念)に囚われたままの 「見解」の域(表と裏の関係)を抜け出せていないからです。 人間は動物よりも上(ランクが高い)、という前提を基とした 「二者択一(肯定か否定のどちらか)」は、 どちらを選んだところで、あまり大した意味はない、と思うのです。 (特に、現代というTPOを考えた場合はね) 私は、某教団に出家をしていたときから、 動物のカルマ、云々や、三悪趣がどうのという話しには、 ほとんどまったく興味がありませんでした。 例えば、サッカーなどのスポーツをすると、 動物のカルマを造ることになるというような説明は、 理論的にも無理があり、破綻しています。 要素としては、むしろ闘争心や戦略を練るなどの、 別のカルマを造ることの方が強いでしょうからね。 しかし、このような「分析」に囚われること自体が、 解脱や悟りに至る道とは「真逆のベクトル」を 造ってしまっているのだと思います。 --------------------------------------------------------- これは、この場を借りたアベルさんへの私信なので、 前後の繋がりが他の人には解らないと思いますが、ご容赦のほどを。 |