아벨(Abel)さんのメッセージ(#20638)への返事 > > 例えば「一切有情殺害三界不堕悪趣」に類似の文言が、 > > 大般若理趣分を祖とする経典には登場しますが、 > > 普通は「三界の一切の有情を殺害しても悪趣に落ちず」と読みますが、 > > 私は「三界の一切の有情を殺害すれば悪趣に落ちず」と読みます。 > > これって支那語の文法的にはどうなるんですかねえ?? まあね、実はどっちに読もうが、あまり関係はないですよ。 あくまでも、わかりやすくするための方便です。 「殺害しても」と言うと、普通の人間はまず、 誰かを普通に殺して、という図を想像するでしょう? だから私としては、「殺害すれば」という風に、 ある種の「限定」を付けて説くんですよ。 するとそれはいわゆる「義務」や「条件」のようなものになる。 およそそんな印象のあるもので、容易な義務などありはしません。 ちなみに、文法を逆手に取った例があります。 これは単なる戒律転覆の屁理屈ですけども。 「不許薫酒入山門」という文章が禅寺の門前に立ててあることがありますけど、 これは普通、「薫酒山門より入るを許さず」と読みます。 「アリシン系の匂いを放つ食物と酒は山門から入ることを許可しない」 というのがその意味ですが、これを 「薫酒許されざれども山門より入る」と読み替えるわけです。 ・・・実態は今や後者が最盛期となっておりますな。ww > > 理趣経百字偈にある「恒作衆生利 而不趣涅槃」、 > > 「まず衆生を利し、先に涅槃することはない」にもとることもありません。 > > 我らが人殺しお父さんの常に仰ってることろであり大乗仏陀イニの精神ですな。 結局和井恵さんなどは、こういうところに発する、 いわば堕落に対して警鐘を鳴らしているわけでしょ。 この文言の二元的解釈を施したのがオウム・アレフ、 一元的解釈を施したのが輪っか、 ベースに禅坊主の要素も入ってる私としては、「知らん!」です。 えっとね、 二元的に解釈したら「素晴らしい!」という文言、 一元的に捉えたら「当たり前だろ!」という風になるでしょうね。(笑) 本来の仏教的にその言葉を聞くと、「あんた、大丈夫か?」かもしれませんが。www |