おさむさんのメッセージ(#20272)への返事 > 「事件の肯定的側面」なんてない > 人間性を疑う発言 まず、あるかないか、という客観的判断は、 我々人間の為し得るところではおまへん。 まあもちろん、人として肯定的側面の存在を認めるべきでない、 という倫理道徳範疇の話をしておられるならわかりますけどね。 実際に、和井恵さんの仮定が成就してしまったところで、 少なくともその論拠が被害者など、 それが耳に入れば直接的な痛みを感じる人たちの耳には入れるべきではない、 というのは、私も和井恵さんも同意しているところにて、 人間性まで疑っても始まりません。 だいたい、その論拠を聞いてもいないうちから、 人間性を疑うのは時期尚早というものです。 > 宗教学的にみて「肯定的側面もあった」 > などと言うものがいたら、髭グル同等の基地害 世の中にはありとあらゆる理屈があります。 それを一々キチガイだの何だのと排除していたら、 世の中息苦しくなってしまいます。 それにね、和井恵さんはこうは言ってませんよ。 「その肯定的側面が世の善悪観念をひっくり返し、 尊師は釈放されて再びグルの座に返り咲く」とはね。 つまり、その現象によって現れる「肯定的側面」は、 単なる歴史的評価などの、観念上の評価に止まり、 その側面のために法律と、それに基づく判決が修正される、 というわけではないようです。 否定的側面そのものは厳然としてあり、 その部分に基づいて出された死刑が覆されるわけではなく、 その時に死刑を執行する風潮さえあるならば執行されることに違いはない、 ということでしょう。 > 事件検証は必要と思いますが ま、これはあくまでも極論として読んで欲しいのですが、 ことがここまでなってしまった以上、 例えば尊師が本当に無罪で、と立証され、事実その通りだったとしても、 国民感情やら被害者感情やら考えると、 尊師を娑婆に出すのはまずいでしょうな。 事件関係がなくても十分恨まれていそうな尊師のことだから、 釈放しようものなら間違いなくその日が尊師の命日になるでしょう。 ・・・ということは、いらざる犯罪者を出すことにもなるわけで。 また、これで本当は事件の黒幕として国が絡んでいるとしたら、 被害者は感情のやり場を失ってしまうでしょう。 政治的にもオウムは犯人として君臨する必要がありそうです。 影響の大きさを思えば、たとえ白でも黒というべきでしょうな。 政治とは理非曲直にあらず、というのが 昔から受け継がれてきた為政者の座右の銘です。 |