セイラさんのメッセージ(#20259)への返事 > 新たなる認識が生まれるかもしれない。 今から私が提案することは、おそらく和井恵さんは知っている、 というか、ある程度具体的に予測してると思うのだけれど、 問題は「どのような認識か」ということです。 一番良いのはその認識なるものが、 「苦の滅尽に役立つ」こと。 まあ、そこまで言わないまでも、 ある程度誰か、それも社会的、歴史的な役に立つこと。 せめてそのくらいの役に立つ予測が望めないのであれば、 新たな認識とやらも別に生まれる必要があるのか、 という最大の問題があると思います。 つまり、「メリットの程度」ってことですな。 > 限られた人に聴かせるというのはどうでしょ? > 悪用するバカのいない場所で出せば良いのでしゅ。 > 葬るだなんてもったいない。 確かにもったいない、とは思います。 ただし、知識欲優位で考えるならば。 しかし疑わねばならんのです、まずその解釈をした和井恵さんを。 そして、それを知ったとしたら、知った私を。 セイラさんが知ったならセイラさんを。 いつ我々の気が狂って、悪用するバカにならないという保証が、 一体どこにあるというのです? それどころか、例えばミクシィあたりで何か言われた時に、 その解釈を聞いていなければ言わずに済んだようなことを、 ポロっと言ってしまわないという保証がどこにあります? この情報化社会、あっという間に広がりますよ。 被害者の耳に入るのなど、ごく短い時間の問題だと思います。 千歩譲るとしても、それが起こるまで、 あるいは、起こらないことが確定するまでは、 知らない方がいいと思います。 和井恵さんがああ言う以上、 我々がそれを知るメリットよりも、 デメリットの方が大きいわけでしょうよ。 |