![]() 夢野さんのメッセージ(#20132)への返事 >> シンクロニティーと、意識と無意識の相互干渉とが関係あるという考え方なのかな? > ユングによれば現実は、集合的無意識の投影かもしれないと。 > 物質と精神の連続性はメカニズムがよく分からないにしても当たり前のことで 少し前に夢野さんが書いていた、無意識とは他者の意識のことだという指摘は、面白いですね。 無意識というと、何かよく解らないイメージですけど、単純に考えれば、意識化されていない意識、 「認識している部分」という、「焦点(認識の対象)」から外れている領域と捉えた方が解りやすいかも… 浅い、深いではなくて、狭い、広い…ね。 それを隔てているのが、「ATフィールド(自我の造り出す防御壁)」だったりしてね。 D.ウォルシュさんの「神との対話」の中で、確か次のような説明があったと思います。 (本が手元にないので、記憶を頼りに再現してみると…) 「魂というのは、私たちが考えているモノよりも、とても大きなモノだ。 それは、例えば、私たちを取り巻く空気(空間)のようなもので、そこに家を建て、 さらに幾つもの部屋を仕切って、ここは「台所」だとか「寝室」だとか分けている。 しかし、空間や空気には、「台所」だの「寝室」だのといった区切りなど無い。 本来それらは、一つなのだから。」 う〜ん、ちょっと@和井恵流の色が付いてしまってるかもね… 意識は、集合的なものではなくて、無限に広がる海のようなもの(これが、空無辺や識無辺の世界)。 それを、個我という意識の壁が、仮想的に分離させている。 大海と、波とを、まるで別のモノと観ているかのように… >> こんな奇妙な「教義」を信仰してしまうから、混沌とした世界観に没入しまうのです。 > ボーアら(コペンハーゲン学派)は判断停止を選び、アインシュタインらがEPRパラドクスを出すなど猛反発 そうみたいですね。 アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言ったとか… 世界の根源に「確率(ランダム・偶然)」を認めてしまうと、そこは「苦の世界」になります。 そうではなくて、「決定論(必然)」に行き着くと、「苦」は、「大楽」に変わるのかも… > 科学も完璧でないと謙虚になれるポイントです というよりも、科学者の色々な説の中から、ニューエイジというか、精神世界にかぶれた人たちが、 自分たち好みの説を勝手に持ち上げて「布教」してまったんでしょうね。 |