それではコンピューターにたとえて無を0、有を1と置きます。この場合0は真我で1は非我ですね。両者のあいだを0でも1でもないってことでφ(空)と書ける φはギリシァ文字のファイまたはフィー(大文字でΦ)、ほんらい0に斜線を引いて「0にあらず」を表したいがφで代用されます ヨーガやヒナヤーナは0を唯一の実体と見て、非我の否定に励む。とはいえ0(狭義の真我)になりきるのは至難であるだけぢゃなく排他性に結び付きやすい 逆にマハーヤーナは非我の肯定・理解によって0を知るのみならず、0と1の全体(広義の真我、大我)としての自己を目差す 実体はなくても、非我は真我との連続体ですからねー。ゆえに無/有、真我/非我、無意識/意識、闇/光、内/そとなどのあいだ(中道)がマハーヤーナの出発点になるでしょう。ちなみに無と有は0元と2元、空は1元に当たる ぼくの文理シナヂーもφへの挑戦(の一環)です |