> アサナの指導は素晴しいが、瞑想に繋がる過程(生起、究竟)での 斉藤女史がDVDご出演のナチュラル・ヨーガはいかにも最低限という感じ。きつくないんですね、あまりクンダリニーは主眼ぢゃないかもです Aのヴィパッサナー(究竟)は無意識への受容に限られてました。ほんらいヴィパッサナーは老子のごとく現実全体へのそれを目差す 現実もまた自己の無意識なんだし ぼくの体験をすこし書きますと、内観終わったあとですが自分のひどい頭痛を痛むまゝにしはじめた。長年の頭痛だが受容の威力は大きかったですね 許しともいえますがその肯定が頭痛を癒した。お任せする、神秘体験ぢゃないがこれも一種の智恵だろうと気づいた次第です ひかりでの冥想はヴィパッサナーが土台になるかもしれない、とぼくは予感します 虹が出たという件は、代表が開祖をシャドウ――影と悟った瞬間に生じたシンクロだそうで。開祖が光のうちは現世は暗い。「まっくら森の歌」みたいに http://jp.youtube.com/watch?v=KgcYetp_YLU ところでアクエリアス時代というけど、水といえば老子やブルース・リーを連想するぜよ。しょこたんぢゃないが(笑 「イニシエーション」に自己の本質は透明な水とありましたが正解でしょうね。 21 世紀は不特定多数のヒトが別の手段で透明な水に至ると思います 精神(直知)や物質(間接知)は水に混ざった混合物で水は知覚不能な意識それ自体。もっとも意識が単数か、複数あるのかよく知りません 無我思想は陽子や中性子レヴェルから水、混合物を区別しない立場と ユキノさんご無沙汰です。今宵もいゝ夢をみましょう |