![]() 아벨(Abel)さんのメッセージ(#14366)への返事 > 次の生でも継続して同じ願いを続けるにはどうしたらよろしいのでしょう? 複数の願い > があって、一つはアーサナのあるポーズができるようになりたいと。あ、言ってしまったら > だめなんでしょうかw それは、心に強く念じ続けることによって可能となります。 心の中に、強い、それ(願望)に対する「行(潜在的な求心力)」を形成するのです。 つまり、意図的な「習気」や「薫習」を行うのです。 言葉にして表現した方がいい。 身・口・意の三つ(三密加持)が整うので、絶えず「宣言」した方が効果は高いですよ。 > > そして、この「サッティヤ」によって、修行の「成就」を為そうとする方法は、 > > これも「菩薩の誓願」と同じように、大乗仏教に取り入れられました。 > > ただし、この場合は「サッティヤ」とは呼ばずに「功徳」と呼んでますけどね。 > > 「サッティヤ(=必ずその通りに物事を実現する力を持つモノ)」 > > つまり、願望を達成させる力を持つモノ、のことですよね。 > > これって、「功徳の持つ力」と意味が同じでしょ? > > サンカルパの言葉も功徳と同じっていう意味なんですか。 いいえ、「サッティヤ」という言葉の意味と、「功徳」という言葉の意味が「同じ」だと言っているのです。 つまり、二つの言葉は「同義語」だと言っているのです。「本」と「book」のようにね。 > > そして、その「サッティヤ(=必ずその通りに物事を実現する力を持つモノ)」を > > 発現させる為の「絶対的な必要条件」が、「戒律の厳守」なのです。 > > ジャイナ教の戒律って滅茶苦茶厳しいのでしょ。う〜〜ん、五戒に対してさえ煩悩破戒専門 > のトリックスター管理人には難しい道w だから、その「厳しい持戒」が、「サッティヤ」を発現させる原動力なんです。 ジャイナ教の場合はね。 釈迦のシステムは、それとは全く違うので、「戒の厳守」には至らないのです。 でも別に、戒を守らなくていいと言っているわけではありませんからね。 ただ、ジャイナ教よりは「ゆるやか」なのです。 デーヴァダッタは、ここのところが理解できずに、釈迦に文句を言ったのです。 |