和井 恵さんのメッセージ(#14307)への返事 > 共に考え、議論し、研鑽する。 > お互いを貶(けな)し合う議論ではなく、磨きあい、高めあう議論。 > これは仏弟子として、求道者としては必要不可欠のモノだと思います。 > ただし、「ウォッチャー(見物人)」なら、する必要は無いでしょうね。 まあ自分の場合には現世の問題にしても同じですが、ある程度体験的な部分があること以外 の問題は活字見ても何のことかさっぱり理解できないんですよね。わかりやすい比喩である とか親切な説明があるなら別ですが、たとえば別に和井さんに対する疑念というわけでも ないわけですが、先日「わかる」という語の定義に関して「頭で理解するだけでは『わかる』 とはいえない」といった感じの断定的ご表現があったわけですが、他の事柄に関しても、 「何々です」といった断定的なご表現の内容が、どうも「正味のところ」が自分にはほとんど 理解できないと。 すなわち、和井さんの独自のご体験からのご見解と、誰々さんの文献的解釈と、普遍的な 定説と・・・、また各々のそのへんの見解の曖昧性の幅などがわからんと。 開祖の場合には、「ここにAさんという人がいて・・・」という言い方などが、私なんかにも 凄くわかりやすかったから面白おかしく読む気だけは出たと。ま、最初から教義なんて信は ないから、単に面白おかしな一つの発想方法として読むだけですが。 中村元せんせの本なんかも当然わからん部分多いですが、アートマンの部分だけは職場の 電脳ネットワークとの関連の自前の比喩である程度本も興味をもって読めたと。 不還だの四禅だのといった、自分の体験とはかけ離れた話については、知識として一応頭に 入れてもよいのかもしれませんが、そのへんの議論読んでもどっちがどうなのかさっぱり わからんから、自分で考えても今の自分には時間とエネルギーの無駄。ま、和井さんとYASU さんの高度のご議論は、自分が何らかの体験の中で何らかのきっかけを掴むまではパスさせていただきます。 |