本日、久しぶりに元某公務員のダンナと晩ご飯食べてきました。 秋葉原通り魔無差別殺傷事件について思うことなど論議しまして、 それらを書き出すととんでもない量の文章になるので結論のみ。 <hr> 「殺すのは誰でもよかった」と。不特定な相手に対する殺意・・・これは、「世の中への訣別」の意思表示らしい。 世の中への怨み…ねえ・・・。 世の中への訣別のもう一つの選択肢は?・・・・・・自殺。 そう、<b>不特定対象への無差別な殺意と自殺は根底にあるものは同一ではないか?!</b>と。 そのような心の状態に置かれ抜け出せなくなってしまうと、あるポイントで別れ、ある者は無差別に殺意を抱き、ある者は硫化水素や練炭へと・・・。 自殺者:年間3万人超。ってことは同じ数だけ凶悪犯罪者予備軍がいても何ら不思議じゃないってことってのが、このダンナの仮説。 4人に1人は一度でも自殺したいと思ったことのあるってことは、 無差別通り魔殺傷犯の若者を<b>他人事だと思ってはいけない</b>と、 ちょっとでいいから自分を省みないとね、このような犯罪は減っていかなかいんじゃないかな?って話が飛び過ぎですかね? 明日は自分が被害者になっているかもしれない。 どっかで間違ってたら、自分は加害者になっていたかもしれない。 被害者の冥福を祈り、ご遺族の哀しみを悼み、聖哀れみ。 心の闇から抜け出せなかった加害者の苦しみに、聖哀れみ。 ヘルスに行って店外デートで気分転換・腐った心の初期化ができる自分に聖感謝。 |