キャンディさんのメッセージ(#11873)への返事 > 漏れは若いとき外国行きたかったけど > 行かないといけないと思っていたんだけど > だって、翻訳やりたかったから、、、w > > 説教ガンガンされて、考えが変わったんだよ > どうせ、英語をやってエキスパートになっても、活躍できるのは60くらいまでじゃんか > もしかしたら、70までできるかもしれない > しかし、どんなに熱心に勉強しても > 来世にもっていけないのは事実だな ま、これは・・・結局オウムの罪だが・・・ 翻訳が来世にもっていけない、なんてとんでもない! 立派にもっていけるものだと思う。 オウムがこう言うでしょ。 「功徳を積むと来世幸せになれる」と。 「修行すれば来世高い世界に行ける」と。 彼らの考えている「高い世界」というのは、 一昔前の教育ママ達が考えている「いい大学、いい会社」と、 その発奴においてまるで違いはない。 試しに問答してみるとよろしい。 Q:いい大学に行ってどうするの? A:いい会社に行けるじゃない。 Q:いい会社に行ってどうするの? A:いい給料をもらって安定した生活をして、老後にも心配が無いじゃない。 こんな発想、犬や猫でも考えると思うぞ。 大きな困りごとさえ起こらず、あとは安楽に生涯を送れればよいと。 ある意味退屈だが、そこは退屈を紛らわす趣味でもあればよいと。 生涯雇用の夢が壊れている昨今こそ、こんな「甘い夢」も描くまいが、 オウム華やかなりし頃はこんな感じだったよね? オウムの、私から見てバカな部分は、 この「甘い夢」を来世に対してまで持つことだ。 同時に、当時の教育ママ連も 「来世のために今生きていることを放棄する」などと批判するが、 フライが天麩羅のカロリーを批判するに等しい、愚かな批判だ。 両者とも、是が非でもこの道でなければ私は私としていられない、 という使命感、明確な目的意識には欠けている。 キャンディちゃんもサマナの愚かな考え方に惑わされることなく、 翻訳の勉強はし続けるべきだったね。 翻訳なんて一朝一夕の勉学で出来ることじゃない。 だから逆に言えば、今から再開しても遅くはないわけだけどね。 メジャーな活躍、ということにこだわらなければ、 こだわるよりもさらに良い勉強が出来ると思うし、 こだわるより、活躍できる可能性も高くなると思う。 同時に、本当に翻訳という仕事そのものを愛しているなら、 来世は今生より障害物の少ない、有利な状態で翻訳者の道を歩けるはず。 少なくとも、サマナにそそのかされて勉強より信者であることを優先した、 当時のキャンディちゃんにとっては、 翻訳よりも来世の方が大切だったのだろうし、 そもそも、その来世にまで翻訳を、というほど 翻訳が好きでもなかったのだろう。 もちろんそんな幻術も、醒めてしまったおかげで さらに翻訳を愛する結果にはなっただろうけど、 時期的に、その経験が翻訳者として仕事をする前の話だったために、 醒めたから、じゃあ意識を翻訳にシフトして、 というわけにはいかなかったんだろう。 なんとも罪なことをしてくれたもんだ、オウムは。 結果的に、キャンディちゃんが「来世に」翻訳者として生きることまで、 邪魔をすることになってしまった。 |