密教系、錬金術系,道教系などで、時々、呼べばいつでもやってくることを約束している練達の人がいるものだが、そうした人がこの秘儀の伝授者にあたるのだろう。密教系、錬金術系,道教系などのクンダリーニ・ヨーガ系列では、そうした肉体のない人による秘儀伝承があると考えている。 ところが、これに対して只管打坐系でも、衣鉢の伝承による法の継承が疑わしいものであることを知るにつけ、そうしたことがあるかもしれないと思うようになってきた。 http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/80363ad7a83fe6c55f40b6d8398d2153 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 興味深いことが書いてありました。 よく法統とか法脈のことがここで話題になりますけど、 わたしもこの人の書いていることに賛同したいですね。 結論から言えば、わたしは法統とか法脈なんて価値があるのか疑問を持っています。 たとえば、達磨という教祖が密教の新教団を作ったと。 2代、3代目くらいはいいかもしれません。 でも、そのうち、堕落していってついには神通力さえ起こせなくなったと。 こうした場合、イニなんて開祖である達磨の頃に比較すれば、何の力なんて無いかも知れません。 また、実在の教団を見てみると、 たとえば真言宗ですが、弘法大師空海と現在の成田山・新勝寺で一番偉い人を比較してみても、力なんて全然継承されているのか疑問に思いますね。 |