to:白龍さん >したがって、別に、おもしろおかしく、ひかりの輪を茶化すためではありません。正当に問題点を指摘したいがために行なっておりますので、その点は、勘違いなさらぬようお願いいたします。 ええ、白龍さんがそうであるとは思っていませんよ。(^^) >さて、削除問題も解決したでしょうから、質問した3点について、広報としての公式な回答をよろしくお願いいたします。 ●三点以上になっていますが、下記に回答させていただきました。 先日、「というか霊的なものは求めていないですし。。。 」とおしゃっていましたが、 高次元のエネルギーを移入するのですよね? そうすると、霊的なものは、団体にとって修業を進める上で、重要な要素になるのではないですか? ----------------------- ●わたしは個人的に強く求めてはいませんが、(求める求めないということではなく)修行を促進させる要素は十分にあると思います。イニシエーションのために修行するのではないということですね。 誰が下すのか、そこが問題だと思います。 ----------------------- ●受け手側ではないでしょうか。。。 すなわち、受け手側の自己判断・自己責任・自己決定によって価値が見出されるのではないでしょうか。 さらに、イニシエーションは、エネルギーを与える者、エネルギーを与えられる者という、上下の階層も作り出します。 ----------------------- ●特定の個人から、その特定の個人のエネルギーを与えてもらうという概念はないです。 ただし、組織を運営する上での普通の階層はありますよ。 かつての忌まわしきオウムのステージ制を、払拭しようとしているのがひかりの輪のはずなのに、この行為は、その流れに逆行しているようにしか思えません。池田さんは、どのようにお感じになりますか? ----------------------- ●ステージで行われることが問題なのではなく、たとえば恐怖心を煽ったり プライドの錯覚をさせたりして妄信させる(する)ことが問題だと考えます。 そこは明確に違う点であると思います。 >もっとシンプルに。。。 >ひかりの輪の中で、誰よりも一番修行して、一番寝ないで働いて、 >一番責任を感じ、一番勉強しているからです。 これですか? この条件を満たしていれば、イニシエーションは、誰がやっても良いということでよろしいのでしょうか? ----------------------- ●文章や理屈では説明しにくいような経験的・体験的なものってありますよね。 たとえばその条件の上で得られた精神(こころ)の強さや広さ・安定度、寂静さ、 智慧の発現を得ること、もしくは達成されていたら誰がやってもいいと思いますが、 それも受け手側が決める部分は大きいと思います。 たとえばわたしが自己申告で宣言したところで誰も受けないでしょ? 自虐的で悲しい例えですが。。。(ToT) そうすると、高次元のエネルギーを感じる霊的能力など全く必要ないということになると思いますが、そのような認識でよろしいのでしょうか? ----------------------- ●ちょっと極端すぎませんか?(笑) 段階的な修行を収めれば、結果的にいろいろな能力? が現われるでしょうし、 またそれには個人差や特異なものもあると思います。 ただ、霊的能力と言葉に対して、オカルティックな 観念があるんですよね、わたしに。 そういうものはわたしは求めていませんし、また特に価値を見出しませんが、 人はそれぞれですから価値を見出す人を否定はしません。 ただし、人を神とすること、その神とした人を絶対として妄信してしまうことは、 わたしたちが得た教訓として改めて強く否定したいと思います。 ao |