喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#22267 2009年6月7日(日)10時48分
From:
和井 恵
変更
Re2:釈迦が説いた世界観、「一切経」。
아벨(Abel)さんのメッセージ(
#22255
)への返事
> http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html
> > ここでは明確に「無所有処についての想い」「非想非非想処についての想い」
> > という訳語が使われています。
> > これを「十結」と対応させると、「五下分結」が欲界に対応し、
> > 「色貪」が色界、「無色貪」が無色界に対応するのです。
> > そして、無明の次にある「慢」が、優劣を生起させる…
> > つまり、高い世界・低い世界、高いステージ・低いステージという認識(分別)をね。
> > 釈迦は、五蘊無我(非我)を説いています。
> > もし、自己や世界をあるがままに観察し、
> > 「これはわれに属するものではない、これはわれではない、
> > これはわれのアートマンではない」と知るならば、
> > 自己や世界に関する誤った見方を捨てることができるであろう。
>
> だんだん難しく・・・
難しいですか…
> 「これはわれに属するものではない、これはわれではない、
> これはわれのアートマンではない」と知るならば、
これは、要するに「五蘊無我(非我)」の教えを、別の言い方で表現しています。
> 自己や世界に関する誤った見方
これは、五蘊(色・受・想・行・識)に囚われたままの見解のことです。
そして、この囚われを別の表現で表すと「結(結縛)」となるのです。
※五下分結…有身見・疑・戒禁取見・貪・瞋恚(最初の三つは痴に当たります)
有身見は、「色(身体・主として感覚器官)」への囚われ、執着
疑は、「五蘊無我(非我)」の教えを受け付けない心
戒禁取見は、釈迦の教え以外の教義を信じてしまっている心
貪は、五妙欲への執着心
瞋恚は、欲望を阻害・妨害されたときに起きる反動形成(フィードバックの働き)
これらは、五官・五感・五妙欲と対応して、外界(現象世界)と結びつきます。
※五上分結…色貪・無色貪・掉挙・慢・無明
色貪は、色界(表象のある意識世界)への囚われ、執着
無色貪は、無色界(表象の無い意識世界)への囚われ、執着
掉挙は、薫習や習気(行)によって生起する「衝動」に左右される心の働き
慢は、識別(分別)による囚われで、優劣(傲慢・闘争心・卑屈さ)を生じさせる
無明は、五蘊を我や我がモノと誤認させる根源的な働き
これらは、六番目の「意(感受作用)」と
「意識(眼識〜身識の次に来る、感受作用の対象)」と対応して、
内界(心象世界・精神世界)と結びついてしまうのです。
一.傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「どれだけを断つべきか?
その上にどれだけを修めるべきか?
どれだけの束縛を超えたならば、
修行僧は(激流を渡った者)と呼ばれるのであるか?」
二.[尊師は答えた]
「五つ[の下位の束縛]を断て。
五つ[の上位の束縛]を捨てよ。
さらに五つ[のすぐれたはたらき]を修めよ。
五つの執著を超えた修行僧は、[激流を渡った者]と呼ばれる。」
(サンユッタ・ニカーヤ 第T篇 第一章 葦 第五節 どれだけを断つべき?)
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