喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#20050 2009年2月16日(月)13時29分
From:
和井 恵
変更
Re2: 真我
夢野さんのメッセージ(
#20032
)への返事
> > 結局、真我はある、という話になったの、、
>
> 和井さんと立場が異なるからぼくのほうは「真我はありうる」説になります。
じゃあ、私は「無いこともない」説なのかしらん♪
> でも手段として、真我はないと思っておけばそれを体験しやすいでしょう
> 無我説といえども真我はないように断定する根拠が不明
そうですね。
何処にもそれだと認識できるようなモノは存在しない、
と、単にそれだけを言っているわけだから…
> > 麻原の擁護がしたいわけ?
> > 漏れが(麻原が真我が流転する)って説は
> 彼の無思考幇助には強く反対しますねー。
> なのでリスクはあっても、思索による体験を自分は重視する方針
> あとそれから、流転するのは真我でなく魂(って幻)だと思われます。
> 魂に語弊があれば自我ですかね。真我説と無我説は自我の否定が共通の目的かなと
自我という言葉よりも、仮我の方が解りやすいかも…
でもそうすると、じゃあ、仮の自己ではない本物は何処にあるんだ、
それ(本当の私)は何なのだ、という「突っ込み」がすぐに入りそうだな…
ちなみにサーンキャ哲学では、
「真我(プルシャ)」と「プラクリティ(根本源質)」とに分けて、
「プラクリティ」が三グナの働きによって「転変」して、
色々なモノを創りだして、有の世界が形成されてゆく、とされています。
心も体も、この「プラクリティ」が転変したモノで形成されているのだそうですよ。
> > 見たことがねえよ、と普通は言うが、麻原の家では(アタシは見た)って奴がいるわけ、、
>
> 理論上は見えないはず
はい、そんなモノは見えません(幻影ならば別だけど)。
> > 「我思う故に、我有り」という言葉があるけど、
>
> デカルトの真意はまだよく知らぬが
>「思うゆえに思いあり」のほうがベターとか諸説複雑で、
> 言葉の不完全性をあらためて感じます
うーん、「行為によって、その行為をしている主体(自分の存在)があると知る」かな…
そして、デカルトの場合は思索家だったから、
「思う」という具体的な行為が一番最初に浮かんだのだろうし、
その「思うこと(思考)」が自己を意義付ける「一番大切なモノ」だったのでは?
受動的な「認知」ではなくて、能動的な「行為」を使って、その主体を知ろうとした。
でも、どちらにしても、それらの「手がかり(依処)」が消えれば、認知も不能。
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