喫茶Honfleur掲示板 2007〜2009年
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Message#16326 2008年9月20日(土)00時26分
From:
아벨(Abel)
変更
浅尾美和ちゃんのお母さんの
記事が載った週刊誌が出てきましたので、今更の感もありますが紹介しておきます。
慣れぬOCRかけたのですが、結構便利なものですなw
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衝撃、浅尾美和の母はオウム信者だった(週刊現代2007年7月7日号)
アイドル顔負けの美貌と、身長172p、B83W62H86という抜群のスタイル。女子ビーチバレー選手の浅尾美和(21歳)は、今、日本でもっとも輝いている女性アスリートの一人だ。ビーチバレー日本代表として北京五輸を目指すかたわら、タレントとしても活躍する彼女。出場する試合には観客が大挙して押し寄せ、その水着姿を撮影させまいとする会関係者との問で小競り合いが起こるほどだ。スポーツ選手としては異例の、セクシー写真集やDVDも発売されている。だが、とどまるところを知らないフィーバーの陰で、彼女は誰にも語れなかった"家族の秘密"を抱えていた
浅尾美和は1986年2月2日、三重県鈴鹿市で自動車会社の工場に勤務する父・雄二さん(仮名)と専業主婦の母・今日子さん(仮名)とのとの間に4人兄妹の長女として生まれた。小2の頃からバレーボールをはじめ、中学で全国都道府県バレ一ボール大会に出場、県立津商業高校時代は2度の全国高校総体出場など輝かしい成績を残している。そんな彼女の家庭に大事件が起きたのは、美和がまだバレーボールを始める前の、5歳のときだった。母親の今日子さん(45歳)がオウム真理教に入信してしまったのだ。今日子さんが浅尾家に嫁いだのは81年の春頃。当時の彼女を知る人問は、「子供思いの優しい奥さんだった」と口を揃える。「ケーキ作りが得意で、よくご近所におすそわけしていましたよ。女優の紺野美沙子に似た、色白のほっそりした美人で、美和ちゃんはお母さん似。面倒見のいい方でした」(近所の商店主)
当時、今日子さんは幼い美和と長男(現在25歳)、次男一(同23歳)の3人の子供を抱え、子育て中心の生活を送っていた。だが、そうした今日子さんのわが子に対する愛情が、同居していた姑の郁江さん(仮名)との確執を生むようになったと、彼女の知人たちは言う。「今日子さんはお姑さんとの関係で随分悩んでいました。『子供たちにジュースをあげようとしたら、おばあちゃんに"ジュースなんてもったいない"と水に替えられてしまった』とこぼしていたのを覚えています。あの家はおばあちゃんミ・ひもカガッチリと財布の紐を握っていて、順子さん夫妻に自由になるおカネはほとんどなかった。息子の雄二さんは小遣いもままならず、川で釣った魚を売って小遣い銭にしていたそうです。おまけにおばあちゃんはやたら孫一の教育)に干渉するので、、今日子さんは、心が休まる暇もなかったようです(一近隣の住民)
何かにつけて口を出す姑に耐えかねたのか、夫妻は一時期、3人の子供を連れて実家を飛び出している。前出の住民が続ける。「でも、夫婦の収入だけでは生活が苦しかったらしく、結局、1年足らずで実家に戻ってきた。実家の敷地内に新しく家を建てて、そこで暮らしはじめたんです。でも、その建築資金はほとんどおばあちゃんが出したそうで、二人はますますおばあちゃんに頭が上がらなくなってしまったLいさかその後も嫁姑の諍いは続き、ついに姑の漏らした「ある一言」が両者の問に決定的な亀裂を生んだ。「彼女が4人目の子供を身こもったとき、おばあちゃんに『生活が大変なんだから、4人も子供はいらないよ』と言われたそうです。おカネのことならまだしも、そこまで言われては彼女も身の置きどころがなかったのでしょう」(同)
今日子さんが、オウム真理教に入信したのは、そのおよそー年後のことだ。彼女の入信は美和の実家近くでは広く知られていた。「たまたま友人に誘われてオウムの名古屋支部を訪れたら、その場で信者の人に説得されて入信したと聞いています。そのとき、持っていたおカネはすべてお布施としてオウムに渡してしまったらしいです。姑さんとの関係に苦しんでいた彼女は、何かすがるものを求めていたのかもしれません」(今日子さんの友人)
・・・・・・
そして、92年6月、美和が小学校1年のとき、今日子さんは家を出て失踪する。・・・・・・失除後の今日子さんは、埼玉県内や東京23区内を転々とし、一時期は世田谷区・南烏山にあるオウムの事実上の教団本部に身を寄せていた。ちなみに、雄二さんとは、失除から約-年後の93年5月に離婚が成立している。
今回、本誌は彼女が身をた寄せていた世田谷区.南烏つ山のアーレフ(元オウム)施設を訪ね・かつて今日子さんがここに滞在していたかどうかを確認した。すると、「随分前のことだが(今日子さんは)いたはずである」という返事がかえってきた。また、95年の地下鉄サリン事件後に滋賀県警によって押収された信者リストにも、今日子さんの名前は記載されていた。ちなみに、そのリストにおける彼女の教団内での階位は、もっとも低い準サマナから2つ上の「沙門」となっている。
今日子さんがオウムにのめり込む一方で、突然の失除で母親を失った4人の子供たちは、祖母・郁江さんによって育てられていた。ところが、そんななかでも浅尾家には、オウムからの勧誘が続いていたという。「今日子さんが信者になって、から、自宅にオウム信者が入れ替わり立ち替わりやつてきては、残った家族に入信を勧め、自宅や土地を売り払って、そのおカネをお布施として差し出すよう迫っていたそうです。(郁江さんは)『こちらも精神的に限界だったから、家族と家屋敷を守るために今日子を切った』と言っていました。雄二さんは、何とか奥さんを取り戻したかったはずですが、時間の経過とともに、あきらめざるをえなかったようです」(前出・近隣住民)
浅尾家に再び、平穏が訪れるのは今日子さんの失際から5年後、雄二さんが後妻の直美さん(仮名一と再婚してからである。「美ちゃんはお母さんがいなくなってから、家では一度も今日子さんのことを口にしなかったそうです。きっと、母親のことを話してはいけないと子供心に思っていたんでしょう。新しいお母さんが家にきたときは、健気にも、すぐに自分から『お母さん』と呼び、仲良くしようとしていたそうです」(前出・商店主)
いまでは美和と直美さんは、生来の母子と見まがうほど、仲がいいという。その後、弟も一人誕生している。「直美さんもずいぶん、子供たちのために尽くしましたからね。中学時代の美和ちゃんがバレー部の朝練に出るときは、必ず車で送りにいっていた。直美さんが実のお母さん以上に子供たちに愛情を注いだから、美和ちゃんはバレーボールという生きがいを見つけられて、あんなに屈託のない笑顔が似合う子に育ったんですよ」(美和の同級生の保護者)
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そういう事情だったとすると、美和ちゃんのお母さんって気の毒ですよね。姑さんに
イビられて、堕胎・殺生まで強要されただなんて・・・カワイソ〜〜〜
ケ〜キ作りがお上手だったという話は、週刊誌の他に元サマナの方からもききました。
92年に家を出て、93年に離婚成立、94年夏に出家。この間はどこでどうなさって信徒
生活を続けておられたんですかねえ・・・ 人間界のカルマも完全に断ち切れたわけ
でもないでしょうに、幼い子供を鬼姑のところに残して家を出るなんて、情の上では
どれほど苦しまれたことか・・・泣けてきますな。それにしてもマザコン旦那さんは
あまりにも頼りないのではおまへんか? ママンがそんなに怖かったの??
ところで文中にある「滋賀県警が押収した名簿」というのは左の写真に一部紹介した
もののことですな。確かに沙門としてお名前がありもす。
宮原なんて名前もありますな。同じ名古屋支部からあの方も・・・?w
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